大切な家族が残した思い出の数々。あなたなら何から手をつけますか?
愛した人の痕跡を少しづつ消していく作業を一人で続けていく自信がありますか?
遺品整理はただの片付けではありません。
故人の意志を確認しないで持ち物を処分しなくてはいけない大変辛い作業です。
私は最愛の母を亡くし天涯孤独となりました。
身内がいないことで面倒な相続問題からは免れましたが、一人で遺品整理と向き合わなければなりませんでした。
大量の衣類を前に何から手を付けたらよいのか途方にくれる事もありました。
五感で感じる母の面影が辛くて、何年も手放せないまま持ち続けた物もありました。
ゆっくりと整理を進めて10年後の今、母の遺品はほとんど残っていません。
この記事では4つのステップで進めた私の遺品整理体験をご紹介します。
どんなことが手放す決心に繋がったのかもお伝えしていきます。
遺品整理が進まずにお悩みの方は是非最後までお読みください。
ステップ①亡くなってから7日以内にしたこと
亡くなってからまず行ったことは以下2点です。
死亡診断書の受取
死亡診断書は亡くなった当日に病院が発行してくれます。
死亡診断書が無くては葬儀も諸変更手続きもできません。
辛い気持ちをおさえて忘れず受け取るようにしましょう
死亡届と埋火葬許可申請
死亡届は死亡診断書と一体型になっています。
提出先は故人が死亡した場所、故人の本籍地、届出人の所在地のいずれかの市区町村役場の窓口です。
署名は親族が行う必要がありますが、提出をするのは別の人でも構いません。
私はこの手続きを葬儀会社へ代行依頼しました
提出すると原本は返ってきません。
この後の手続きに何かと必要なので複数枚コピーをしておくと良いでしょう。
死亡届を提出すると埋火葬許可証が発行されます。
埋火葬許可証を忘れると火葬ができないので葬儀当日に忘れたら大変です。
埋火葬許可証の保管も葬儀会社へお願いしました。
世帯主変更
死亡届を提出すると住民票は自動で抹消されますが世帯主は変更されません。
世帯主変更届は世帯主が亡くなった14日以内に届出が必要です。
但し届出が不要なケースがあります。
世帯主変更届が不要なケース
- 死亡した世帯主以外の世帯員が存在しない場合
- 死亡した世帯主以外の世帯員がひとりの場合
- 新たな世帯主とされるひとりの人物以外の世帯員が15歳未満の子どもである場合
我が家は母が世帯主で世帯員、つまり一緒に暮らしていた家族は私だけです。
その為世帯主が私に自動で変更となり、 世帯主変更手続きは不要でした。
年金の受給停止手続き
年金受給停止は死亡後、厚生年金なら10日以内、国民年金なら14日以内に年金事務所へ申請手続きが必要です。
年金受給停止に必要な書類
- 年金受給権者死亡届(報告書)
- 年金証書
- 死亡を証明する書類(死亡診断書のコピーなど)
同時に未支給年金の請求手続きもしました。
年金受給者が亡くなるとその時点で未払いの年金が発生します。
この未払い分を未支給年金と呼びます。
年金受給権者と一緒に生活をしていた遺族は、亡くなった方が受け取るはずだった未払い分を請求することができます。
申請期限は死亡後5年以内、いつ亡くなったのかにもよりますが受取分は1ヶ月〜3ヶ月分です。
ステップ②葬儀から49日迄にしたこと
埋葬許可証の受取
火葬が済むと埋火葬許可証に『火葬執行済』の印を押して返却されます。
押印済みの埋火葬許可証は納骨の際に必要になります。
大切に保管しておき、納骨のときに墓地や霊園に提出しましょう。
お墓の名義変更
我が家が使用している市営の墓園には祖母が眠っています。
使用者名義が母になっていたので墓園の管理事務所へ連絡をして名義変更の手続きをしました。
お墓の名義変更に必要な書類
- 名義変更届
- 永代使用許可証
- 住民票
- 戸籍謄本
- 印鑑証明書
郵送での受付はできなかったので直接管理事務所へ書類を持参して手続きを行いました。
健康保険の資格喪失届の提出
健康保険の資格喪失届は死亡した日から14日以内の手続きが必要です。
母は私の扶養だったので勤務先へ健康保険証を返却するだけ。
その後の手続きは会社がやってくれました。
公共料金の変更手続き
電気・ガス・水道の名義変更と支払方法の変更をしました。
当時は電話をして必要書類を提出しなければなりませんでした。
今はネットだけで済むところが多いようです。
検針票が手元にあるとスムーズなので探しておきましょう
公的機関以外の解約手続き
公的機関以外の解約手続きをしました。
具体的には以下です。
- 銀行口座の解約
- クレジットカードの解約
- 保険の解約
- 携帯電話の解約
家族がいる場合、こういった手続きは相続の方向性を整理してから行うことが推奨されています。
相続財産には資産だけでなく借金等の負債も含まれるからです。
相続人はプラスの財産だけでなくマイナスの財産も引き継がなければなりません。
そのため各契約の解約手続き前に残債の有無を確認しておかなければならないのです。
母には借金も大きな財産もありませんでした。
自己所有のマンションは私名義です。
助けてくれる家族がいない代わりに、煩わしい相続手続きも遺産分割の調整もしなくて良いのは幸いでした。
ステップ③49日を終えてから少しずつ始めたこと
クローゼットの整理
衣類
他人の目にふれさせたくないものから手をつけました。
- 下着
- 靴下
- パジャマ
- 毛玉のついたセーター
- 汚れが落ちないブラウス 等
着物・帯以外の和装小物もこのタイミングで処分することに。
肌襦袢、足袋、腰ひものような肌に触れた物は人に譲る事もできません。
ゴミとして処分するのは心苦しいが仕方ありませんでした。
ハサミで小さく切って一般ゴミに出した量は45リットルの袋20袋以上。
意識して減らす努力をしなければ物は増える一方なのだと痛感しました。
お洒落が大好きだった母の衣類は想像以上の数でした。
中には値札がついたままの物まであります。
サイズも違うし好みもあるので全てを自分が着ることはできません。
わかっていても右から左へポイポイ捨てる気持ちにはなれませんでした。
そこで私は着れる物は一度だけ袖を通してみることにしました。
実際に着てみたら意外としっくりくるもの。
明らかに借りてきた感じが否めないもの。
続けていくと残す物と手放す物が見えてきました。
「試してみたけど似合わなかったから手放すね」
後ろめたさを消す魔法の言葉です。
鞄・靴
鞄や靴は母の日や誕生日に私がプレゼントした物がほとんどでした。
手にした時の嬉しそうな顔を思い出しては手が止まります。
片づけを始めても、結局一つも捨てられないなんて日もありました。
物は使わなければ傷んできます。
劣化を防ぐためには定期的なメンテナンスも必要です。
母のお気に入りを1〜2個程残して手放すことにしました。
化粧品
化粧品も手がつけられなかった物の一つです。
しばらくはメイクBOXの蓋すらあけることができませんでした。
そこには母の香りが残っていたからです。
化粧品は人によって肌との相性や香りの好みが違います。
服のように自分で使うこともできず見て見ないふりをしていました。
結局手放せたのは半年以上も経ってからのこと。
使いかけの基礎化粧品や口紅は一般ゴミで処分。
香水は芳香剤として最後まで使い切りました。
毛皮
毛皮を買取依頼に出しました。
クローゼットの奥にしまわれていたミンクの毛皮1着と着物用のストールが2枚。
自分で身に着ける事はないとわかっていても手放せずにいました。
他の衣類と比較して高価だったからです。
悩んだ末に買取業者へ見積もりを依頼してみることにしました。
買取価格は種類や状態で大きく変わるとは聞いていました。
提示された価格は少し贅沢なランチ一回分程度でした
母の毛皮は状態こそ良好でしたがノーブランドであることが理由でした。
“この程度にしかならないのか”
まるで母の存在を安く買いたたかれたようで悲しくなりました。
結局このままゴミとして処分するよりも、誰かの手に渡せるほうがいいと自分を納得させました。
キッチンの整理
キッチンには料理好きだった母が残したものが沢山ありました。
作り置き用の保存容器。
大中小がきちんと揃ったボールやザル。
お気に入りの取っ手が取れる鍋は何重にも重ねられてマトリョーシカのようです。
棚から全てだしてみると、このスペースに収まっていたことを感心するほどの物が出てきました。
食器棚にもこだわりのお皿がびっしりです。
30cmの大皿はほぼ毎日食卓にあがっていた物。
「料理は少し余裕をもって盛り付けた方が美味しそうに見えるのよ」
小さな器へ山盛りに盛り付けていた私に母が教えてくれました。
一人になったばかりの頃は母が作ってくれた料理を真似てみたこともありました。
教えの通り大きなお皿に盛り付ければ、見た目はそれなりの物が出来上がります。
でも食べてみると何故か美味しくありません。
辛いことに1回では食べきれず、2〜3日同じ物を食べなくてはなりません。
なんだか疲れてしまって凝った料理はしなくなりました
どんなに便利な器具も大きな皿も一人暮らしには必要ありません。
我が家を支えてくれた道具達を手放す事にしました。
作り置きをやめたので保存容器も全て手放した中で唯一残ったのは電子レンジで料理ができるザル付きのタッパー。
20年以上も前に母が購入して愛用してきたものです。
今でこそ電子レンジ調理ができる便利な物が沢山ありますが当時は活気的な商品でした。
蓋が少しかけていて年期が入っていますが料理の火加減が全くわからない私にとって無くてはならない存在でした。
大皿は処分し頻度の高い中皿を数枚残しました。
鍋とステンレスのボール、そしてマトリョーシカの真ん中に鎮座していた中鍋がそれぞれ一つづつ。
物で溢れていたキッチンの棚は少し寂しい状態になりましたが不便ではありませんでした。
書類の整理
書類といっても種類は様々です。
- 母あての手紙や年賀状
- 会社勤めをしていた時の契約書
- 健康診断の結果
中にはもう存在しない家電の取扱説明書まで出てきました。
亡くなった直後に重要書類はわけてはおきましたが、念の為全てに目を通して全てシュレッダーにかけました。
お財布の整理
母の財布は解約手続きのために必要なカードだけを取り出した以外、亡くなったときのまましまってありました。
そこには今もまだ母の暮らし息づいている気がしたからです。
- メンバーズカードやポイントカード
- 行きつけのまつ毛パーマや美容院の会員証
どのカードの裏面にも几帳面に自筆で名前が書いてあります。
その文字を見ただけで胸が苦しくなり、油断すると片付けが一向に進まなくなります。
心を無にしてシュレッダーにかけました。
お財布の中の現金を使うことにも抵抗がありました。
親の目を盗んでこっそり抜き取っているような気持ちになったからです。
結局硬貨だけを使って紙幣を封筒にいれて保管することにしました。
ステップ④3回忌を終えて行ったこと
大型家具を処分
3回忌を無事に済ませたタイミングで大型家具を手放す事にしました。
母のベッドは来客の時に使うかもしれないと思ってとっておきましたが、一度もその機会はありませんでした。
マンションを購入した時に母が買ってくれた、4人用のダイニングテーブルは1年以上も使っていません。
- 手入れが面倒で使うのをやめた空気清浄機
- 何も飾られていない飾り棚
部屋を見渡してみると手放しても困らない物がいくつも目につきました。
母がいたからこそ存在価値がある物たち。
使われることなく、ただそこにあるだけの姿がどこか寂しそうに見えました。
母の痕跡を消したくなくて残していましたが、物理的にただそこに置いておくだけだったのです。
今の私の生活には不要なのだと実感した今が手放すタイミングだと思いました。
天涯孤独の私は自分自身の最後も考えなくてはいけません。
体力のある今のうちに大きな物は手放そうと決心したのです。
私はくらしのマーケットへ軽トラックの不用品回収を依頼することにしました。
くらしのマーケットとは”暮らし”に関わる様々なサービスを提供する業者を比較できるオンラインサイトです。
価格やサ-ビス内容を比較してオンラインで見積りが依頼できるので忙しい方にも便利です。
実際利用した方の口コミや評判を参考にするとよいでしょう。
特に私が業者を選ぶ際に参考にしたのは顔写真です
くらしのマーケットには業者の顔写真が掲載されています。
不用品を回収してもらうという事は知らない人を自宅に入れるという事です。
どんな人が来るのか事前にわかるのは一人暮らしの私にとって大きなポイントでした。
軽トラックを使った不要品回収の料金相場は8,000円〜20,000円程度。
積載量は広さ1.5畳、高さ1m、重さ350kgです。
私の場合はセミダブルベッドの解体込みで1万円でした。
以下が引き取ってもらった物です。
- セミダブルベッド
- ベッドマットレス
- リビングテーブル
- 椅子4脚
- 机(幅約60cm程度)
- 折り畳み椅子1脚
- 空気清浄機
- スチールラック(幅90cm・奥行45cm・高さ125cm)
- プラスティック製の衣装ケース6個(幅39cm・奥行53cm・高さ30cm)
担当の方は笑顔が爽やかな男性1名。
てきぱきと作業をこなし2時間かからずに終了しました。
仏壇の買い替え
我が家には20年以上も前に購入した古い仏壇がありました。
毎日手を合わせるたびに心を落ち着かせてくれる場所です。
私は3回忌を終えた節目で買い替えを検討することにしました。
時の流れと共に劣化が目立つようになったからです。
いざ買い替えを決めても仏壇なんて頻繁に買うものではありません。
ひとまずお店へ行ってみる事にしました。
店内に入ると様々なお仏壇が並んでいます。
仏壇じゃないみたい
おしゃれで洗練されたデザインはお仏壇というよりもインテリア家具の様です。
そこで目に留まったのがステージ型のミニ仏壇でした。
ステージ型とはサイドボード等の家具の上にも設置できるコンパクトな飾り棚です。
日本を代表する家具メーカー「 カリモク家具 」と共同開発されたものでした。
そのシンプルでモダンな形状に一目ぼれしてしまいました。
6万円以下というお値段も魅力的です。
ころんとした可愛らしい『おりん』も一緒に購入することにしました。
店員さんへ古い仏壇の処分について尋ねると、買い替えであれば2万円で引き取りをしていただけるとのこと。
但し、高さ・幅・奥行きの合計が300cm未満でなければならないと説明がありました。
引き取ってもらうのだから大きさを確認してくるのは当たり前のこと。
私は採寸してこなかった事を後悔しました。
「お持ちのお仏壇と同じくらいの大きさの物はありませんか?」
改めて来店するしかないとあきらめていた私に、店員さんがそう言って店内を探してくれました。
ちょうど同じサイズのお仏壇が見つかりサイズを確認してもらうと、適用範囲内であることがわかりました。
- 仏壇以外の仏具は引き取り対象外であること
- 仏壇はいかなる理由があっても返却できないこと
- 引き取り後は僧侶による供養を行い適切に処理をすること
引き取りの際の説明を受けて手続き書類を記入します。
納品日と古い仏壇の引き取り日も決まり軽い足取りで店を後にしました。
納品日当日はとても上品な男性が来訪しました。
持参の布を床へ広げて丁寧に箱から取り出しています。
「どちらへ設置なさいますか?」
と尋ねられて、リビングで一番明るい場所に設置をお願いしました。
これからはこの場所が母と会話をする大切な場所になるのです。
数日後仏壇の引き取り依頼も無事に済ませると、一区切りついた安堵と清々しい達成感に包まれていました。
着物の出張買取依頼
少しづつ母の持ち物を手放してきましたが、何年経っても手をつけられないものがありました。
それは着物です。
私はリフォームをきっかけに、これらも手放す決断をしました。
工事中はしばらく仮住まい先で暮らすことになり、荷物の保管スペースが限られていたからです。
私は買い取り業者へ出張査定を依頼することにしました。
当日玄関に現れたのは落ち着いた雰囲気の品の良い女性でした。
「可愛いですね。猫ちゃんを飼われていたんですか?」
部屋に入ると飾ってあった飼い猫の写真を見て言いました。
猫好きだというおそらく同世代と思われる女性と一瞬で話が盛り上がりました。
着物や帯を一枚一枚丁寧に確認しながら
「私も母を亡くした時は着物の処分が一番辛かったです」
その事がきっかけで鑑定士になったのだと、ご自身の体験を話してくれました。
ふと査定の手を止めると
「全てを手放さずに着物と帯を一枚ずつ残してみてはいかがですか?」
そう提案してくださいました。
その言葉を聞いて一気に罪悪感が薄れ気持ちが軽くなりました。
一枚であれば私にも手入れができそうです。
いつか身に着ける日がくるかもしれません。
女性の勧めでまだ糸がついたままだった水色の訪問着と落ち着いた金色が美しい帯を選びました。
その後も少し母のことを聞いてもらい、査定が終わる頃には長年の友人と話している気持ちになっていました。
残念ながら価格がつかずに処分だけを依頼するものもあり査定額は高いとは言えません。
それでも不思議と後悔はありませんでした。
誰かに大切に着ていただければそれで十分だと思えたのです。
何より胸につかえていたものがゆっくりとほどけていくような優しい時間を過ごせた事が満足でした。
最後まで捨てられなかったもの
最後に今も手元に残しているものをご紹介します。
成人式にくれた手紙
字を書くのが苦手な母が成人式の日に私に宛てた最初で最後の手紙です。
実は当時読んだきりであまり内容を覚えていません。
真っ白な便箋いっぱいに”大人になった娘へのエール”が書かれていたような気がします。
母の字を見るのが辛いので今はまだ読み返すことができません。
でもいつか必ず読み返したいと思っています。
それまでは引き出しの奥に大事にしまっておきます。
最後にくれたお年玉
亡くなった年の元旦にくれたお年玉です。
社会人になってからは私が渡す側だったのに、最後を予感したように母がくれたものです。
しっかり折らずに入った一万円札が3枚。
今でもお守り代わりにポチ袋ごと取っておいてあります。
フラダンスの振り付けノート
母自作のノートです。
習っていたフラダンスの振り付けを覚えるために書いていたのだと思います。
そのノートはタンスの奥に隠すようにしまわれていました。
決して絵心があるとは思えないイラストに思わず笑ってしまいました。
一方でこんな才能があったのかと感心もしました。
手書きのイラストには『ここは両手を上げる』『右に2歩移動する』等の補足まであります。
いつかこのノートを見ながらフラダンスを踊る日がくれば良いなと思っています。
最後に
私は約10年かけてゆっくり遺品整理を進めてきました。
時には手を止めて迷いながらも少しずつ母の思い出を手放し、今はほとんど残っていません。
遺品のほとんどを処分してしまった私を冷たい人間だと感じる方もいるかもしれません。
私自身もここまで手放す事ができるとは思っていませんでした。
“母の物を他人に触れさせたくない”
だから私がやるしかないのだと半ばやけくそ気味で始めた遺品整理でした。
そして長い時間をかけて整理を進めていくうちに2つのことがわかってきました。
一つは”思い”というのは目に見えるものだけに依存しないということです。
たとえ「物」がなくなっても思い出や母と過ごした時間が消えることはありません。
手放すことは「忘れること」ではないのです。
そんなふうに考えられるようになったから、なんとか一人でもこの大仕事をこなしてこれたのだと思っています。
二つ目は自分の最期に備えるということです。
この先を天涯孤独で生きていくとしたら、遺品整理をするのはきっと第三者でしょう。
だからこそ今から物を減らし最終的には何も残さず旅立つことを目指しています。
遺品整理の経験を通じて、持ち物の取捨選択が得意になりました
母の品々を手放すことに比べれば、自分の物を手放すのはずっと簡単です。
本当に必要な物なんて意外と少なくて、厳選した物だけで暮らす方がかえって贅沢にも感じています。
例えば私が残す最後の荷物。
丁寧に風呂敷に包み、そこにメッセージを添えようと思います。
「お手数ですが、ご放念ください。」
遺品整理の方が、その物の少なさに驚く顔を想像するのもなんだか楽しみです。