プロフィール

“ちびらいふ”に足をとめていただきありがとうございます。

管理人のちびと申します。

定年を数年後に控えた独身会社員でございます。

10年前。一人っ子の私は最愛の母を亡くして天涯孤独となりました。

悲しくて、怖くて。

真っ暗で深い穴の中に突き落とされたようでした。

当時は、この先どうやって生きていけばわからず、早く死んで母のところに逝きたいと思っていました。

その後、様々な出来事や悩みを繰り返しながらわかったのは一人でも意外と大丈夫なんだという事。

今では天涯孤独である境遇を楽しめるぐらい強くなりました。

終活も兼ねて、できるだけ物を持たずにシンプルな暮らしをしています。

一人で生きる事に不安をお持ちの方へ、一歩を踏み出すことができるような内容をお伝えしたい。

そんな思いでこのサイトを立ち上げました。

この記事では、私の生い立ちから今の暮らしにいたった経緯をお話します。

ちびらいふができるまで

  • 1968年6月。一人っ子として生まれる
  • 3歳。 両親が離婚し母と祖母の女系家族に育てられる
  • 16歳。県立の商業科へ入学し簿記の楽しさを知る
  • 18歳。高校卒業後大手クレジット会社へ入社
  • 27歳。結婚を決め式をあげるも、お互い一人っ子が原因で籍をいれる前に別れる
  • 31歳。祖母が他界。一卵性親子と呼ばれる母と二人家族となる
  • 32歳。兄妹猫2匹を飼いはじめ、親子で子猫にメロメロ
  • 34歳。母の勧めで駅迄徒歩3分の新築マンションを35年ローンで購入
  • 42歳。腎臓の病で兄猫が7歳で他界
  • 46歳。肺がんで最愛の母が他界し天涯孤独となる。妹猫のハナと共同生活開始
  • 47歳。母の遺品整理に悩み、整理収納アドバイザー2級の講習を受講する
  • 48歳。ミニマリストを知り断捨離をはじめる
  • 50歳。メンタルを整えたくてホットヨガをはじめ爆汗の快感にはまる
  • 52歳。人間関係に悩み34年勤めた会社の早期退職を考えはじめる
  • 同年。ハナが体調を崩し延命治療を開始
  • 53歳。転職に向けて簿記2級とFP2級の資格勉強をはじめる
  • 同年。ハナ22歳で他界。本当に独りになる。
  • 54歳。リフォームを決意。不動産会社との調整がはじまる
  • 同年。人事異動で苦手な電話対応業務となるが人間関係が良好で退職は保留に
  • 同年。簿記2級資格合格
  • 同年。仮住まい先への引っ越しを機会に物の9割を処分
  • 55歳。FP2級資格合格
  • 同年。工事が終了し自宅に戻る
  • 同年。ブログ”ちびらいふ”開設

ちびという人間

  • お酒が大好き。毎日の晩酌が明日の活力
  • 趣味のヨガで心を無にする練習中
  • せっかちで常に次の事を考えている。結果、忘れ物や落とし物をよくする。
  • もくもくと行う作業が得意
  • 群れるより単独行動が快適

独り上等!

私は一人っ子です。

母・祖母の女系家族の中で育ちました。

幼い頃は、兄弟・姉妹がいない事で母と祖母の愛情を独り占め。

好物は残しておいて最後に食べます。

横取りの心配はありませんから。

社会人になっても、独身貴族(昭和の表現ですみません)で自分の時間とお金を独り占め。

海外旅行にブランドバック。

今思えば本当に無駄な時間とお金を費やしてきたと思います。

気が付けば、結婚しても仕事を続ける同期や友人がどんどん増えていきました。

仕事・家事・育児を頑張りながら家族という自分の居場所をしっかり作っています。

自分はこのままで良いのか。

迷いもありましたが、私には「結婚=幸せ」とは思えず”独り上等!”と鼻息荒く生きておりました。

そしてそんな私に後悔する時が訪れます。

母との別れ

祖母が他界。

その後兄弟で飼っていた兄猫が腎臓の病で他界。

母と妹猫のハナと私。

二人と一匹による、またしても女系生活をしておりました。

2013年も終わりに近づく11月。

母に肺がんがみつかり入院。

絶対に治ると信じて抗ガン剤治療をはじめることになりました。

母に任せきりだったハナの世話をしながら、平日は仕事、週末は入院中の母に会いに行く生活が約半年続きました。

「またくるね。帰ったら電話もするからね。」

手をふる私を母がエレベーター前まで見送ってくれます。

母を病院に独りにしてしまうことがなんとも切ない。

そんな気持ちのまま帰宅する私もまた独り。

世間はクリスマス。

楽しそうな家族を横目に、結婚もしないで自由に生きてきたことを心底後悔しました。

入退院を繰り返しながら治療を続けましたが、抗ガン剤の効果がみられたのは一回目だけ。

日増しに症状は悪化。

担当医師から余命が半年と告げられた2ヶ月後息をひきとりました。

ハナの背中

葬儀の準備や色々な手続きで忙しい日が続きました。

張りつめていた緊張がゆるんだ時、自分は天涯孤独になったのだと実感します。

私の事を本気で心配してくれる母はもういません。

「母の作ったごはんが食べたい」となんとなく思った瞬間、涙腺が壊れます。

子供のようにわんわんと泣いて、涙で出た水分を補給するようにお酒を飲んで酔って寝る。

泣いて、飲んで、酔って、寝る。

夜のルーティンになりました。

そんな私の側にはいつもハナがいました。

13歳で人間でいえば52歳、当時の私よりもお姉さまです。

定位置のクッションに座り、情けない主人の姿をどんな気持ちで見ていたのでしょう。

母の入院中は独りにする事も多かったし、ハナには辛い思いをさせてしまいました。

ハナは母が大好きでした。

寝るときは母と一緒。

言葉が話せるなら、母の不在理由を私に聞きたかったことでしょう。

それでも、いつもと変わらないハナの姿がありました。

大好きな銀のスプーンをバクバク食べるたくましい背中をみて思います。

あんなに頑張れたんだから、この先何があっても大丈夫。

そして独りではない。

私にはハナという家族がいる。

パワーアップしたおひとり様の誕生です。

その後、約9年間ハナとの共同生活が続き22歳で天に召されました。

人間でいえば88歳。

本当に頑張りました。

ハナとの暮らしは決して楽しい事だけではありませんでした。

最後まで責任をとるという当たり前の事も考えず「猫好きだから飼いたい」しかなかった私に、命の重みを身をもって教えてくれたのだと思います。

この先、猫もそれ以外も飼う事はありません。

最後まで責任をとる自信も時間もないからです。

独りに負けそうになったら、ハナのたくましい背中を思い出して元気をもらいます。

もたない暮らし

母の遺品整理がきっかけでした。

タンスを開ければ、まだ母の香りがする衣類をなかなか処分できずにいました。

業者へ依頼をする事も考えましたが、母の持ち物が他人の目に触れることにも抵抗があります。

そんな時、ネットで「整理収納アドバイザー講習」を見つけ受講してみる事に。

「全ての持ち物を収納場所から出して、使うか使わないかを取捨選択する」

整理収納はここからはじまります。

少なくなった物をきまった場所に収納する。

これを習慣にすることで、いつも片付いた部屋で快適に過ごすことができます。

早速受講の内容を実行しながら遺品整理をはじめました。

母の持ち物を少しづつ処分しながら、ふと考えます。

「私が死んだら誰が片付けるんだろう」

独りの私に選択肢はありません。

100%他人です。

ミニマリストを知ったのもこの時期でした。

もたない事を選んだ方々の暮らしに興味をもち、私自身もミニマリストを目指すようになるまで時間はかかりませんでした。

まず、リビングテーブルセット・テレビ・エアコン・等の大きな家具を手放しました。

食器や衣類等、日常使うものも見直していきます。

リフォームを決めた6年後にはかなりの物を手放していました。

工事中は仮住まいへ引越し、自宅は何もない状態で引き渡さなければなりません。

少しコストはかかりましたが、家具付きのマンスリーマンションを借りる事にしました。

冷蔵庫・洗濯機・ベッド・タンス等は業者へ引き取りを依頼。

母の着物も一枚だけ残して買い取りを依頼。

大量の写真は数枚だけ携帯に保存して全てシュレッダーしました。

仮住まいと自宅の往復はキャリーバックと段ボール2個の宅配便で済ませました。

今の私

工事が終わり自宅に戻ってからは、本当に必要だと思う物だけを揃えていく事にしました。

とことん考えて、たとえ100均のグラスでも一生持ち続けるつもりで購入します。

私は完璧なミニマリストではありません。

なくては困る必需品以外でも、そこにあるとなんだか幸せになれる物であれば我が家に向かい入れます。

天涯孤独になり、もたない暮らしをはじめてから大切な事を見失わなくなりました。

小さな事でも幸せだと感じます。

ごはんが美味しかったり、髪を切ったら似合うと褒めてもらったり。

信頼できる人間関係にも恵まれ、会社でも笑う事が増えてきました。

一人は決して怖くない。

なくても幸せ。

あればとびきり幸せな暮らし。

これからも、ゆっくりと探していきたいと思っています。

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